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スタイリッシュとは


普段細々と更新しているサイトの整理が、ようやく付いた。
抜けている分が8日もあって、週1で1回分を埋めていくとしても、8週先になる。面白いと思ってやり始めた事で、今でも面白いと思っているので、きちんと埋めていきたいとは思っている。

では何故8回分も溜めてしまったのか、であるが。
7月から「近隣騒音」に悩まされていた。
ここは田舎の、のどかな住宅地である。
街中に住んでいる人から言わせれば羨むような住環境になる。
川の流れの音。蝉の鳴き声。虫のすだく音。
区画の外れなので、果樹園の借景までついている。
昔住んでいた実家に帰ってきただけの事なのだが、転居して1年、この環境の良さは、心身共に効用し、ようやく人生晩年の生活が、ゆっくり始まろうとしていたところだった。

「近隣騒音」とは「仕事の金属音」である。
とても我慢出来る音ではなかった。
事前に御挨拶があったが、機械搬入一日の騒音と受け取っていた。
毎日毎日の金属音の話では無かった。
耳は音を拾うようになってしまって、始終緊張状態で、身体が日に日に固くなっていくのが分かった。
「揉め事」は回避したい。
すぐお隣の奥様は「音はしない」とおっしゃったけれど、他にお願いしたいこともあるから、お話してみますと言ってくださった。
しかし変わらず。
とうとう耐え切れずに、苦情とお願いに行った。
すると、お隣の奥様側には、既に「防音工事」が施してあった事がわかった。
事前に騒音の予測が認識出来ていた事の証明になる、と後に言われたことであった。
我家は道路一本挟んでのお隣だった。
それから一週間程で「防音工事」が始まったが、わたしは既に寝たり起きたりの生活になってしまっていた。
「金属音」はしなくなったが。
しばらくしてまた御挨拶にみえられて、今は普通のお付き合いである。

ところが今度は、そのお隣。道路一本隔てているのは同じ。
耳が敏感になってしまっているせいかとも思った。
また我慢。
去年はどうだったろうかと思い出そうとしても「無かった」としか思い出せない。去年の秋は、冬は。
音が漏れるドアを閉めていただけませんかとお願いに行った。

問題はここからであった。
その日ドアは閉められたが、翌日からは閉められることはなかった。
心底力が抜けた。
困ったことになったとは思ったが、もう身体が利かなくなっていた。

わたしが実家を離れていた時に建ったお宅で、この区画では最後。最初から自宅件仕事場の設計。
この田舎では、目を引くような「スタイリッシュ」な3階建。
ここがわたしの「ひっかかり」なのである。

そのお宅には番犬がいる。
母「吠えられた?」
私「はい」
母「まだお客様ね」
私「もう吠えられなくなったみたい」
母「そう」

そちらの奥様は「性格が荒いから扱い難くて」とおっしゃるけれど「犬の臭い」がする。室内犬が2頭いて、こちらはぴかぴか。
我家は門扉が無いので、敷地に入ろうと思えば簡単に入れる。
夕方、解き放たれた室内犬は、駆け回ることになる。
まあいい。
去年の冬。玄関までの雪掻きはしなければならない。
体調が思わしくない時は、結構な負担になる。
そんな時、真っ白な雪に犬の糞。脱力する。
始末くらいしてくださいと思っていた。

奥様からは「猫飼いませんか」と2回薦められていた。
我家は、猫が似合いそうな家なんだそうである。
以前に飼っていたことがあるので、猫は飼いたい。
けれどあれやこれや考えたら、飼えない。
どう考えても飼えない。
友人からは「お姑」をつくるようなもの、飼いたかったら「動物病院」からと言われたいた。
「ペットを飼っていないなんて」とおっしゃるが。
余計なお世話。

御主人の御趣味の「音楽」も結構な御趣味だと思います。
これみよがしの「高級外車」も結構な御趣味だと思います。
であるならば「仕事場の空調・防音」くらいしていただきたいと言う事です。
書きたくはないけれど「お里が知れますよ」と言うことだ。

最初に「猫」を見に連れられて行ったお宅には「大型の室内犬」がいた。こんなに狭いところにと驚いた。
類は類を呼ぶと言うことか。
犬猫に振り回される「いつか来る未来」が分かっていない。
父母は猫も犬も飼っていた。
だから私が「捨てられた猫」を飼いたい飼ってあげてと言っても聴かなかった。
結局飼うことになったのだがわたしは「あの悲しみ」を乗り越えることが出来ない。
友人の中には「代々の猫」「代々の犬」がいる。
気持ちの整理が着けられるからだろうから、理解は出来る。
それはそれでいいと思う。
が、わたしの残された人生はそう長いとも思われない。
簡単に猫を飼うことを薦める奥様には、想像力が少し不足しているのだろうと思うしかない。

「金属音の騒音」に我慢に我慢を重ねていたある日。とんでもない「金属音」が響いてきた。
堪忍袋の緒が切れて「代理人を立てます」と言いに行った。
「5分で終わりますから」で夕方御主人が御挨拶にみえた。
案の定だった。
わたしの母は「遠慮のない人」「正論を言う勇ましい人」だった。
「そのようなお話は聴いておりませんでした」ととぼけたが、トラブルの逐一は聴いていた。
多分「感覚」なんだろうと思う。
母はスタイリッシュな建物も、そこに住む住人も理解出来なかったのだろうと思う。

友人にビデオ撮りを頼んでいた。
こちらでは放送がなかった。
当日仕事だけれど「OK。遠慮しないでよ」と言ってくれて、翌日には「送ったから」のメールが来ていた。
多分届くであろうその日、わたしの帰宅は「10時頃」だった。
「猫の似合う家」らしく、玄関は「引き戸」である。
郵便物は、門扉はないから玄関の引き戸に差し込まれる。
届いていなかった。
「12時頃」戸締りに下に降りたら「茶封筒」が差し込まれていた。
ざわっとした。

翌日念の為に「本局」に問い合わせてみた。
最初は「誤配」の可能性ありだったが「担当局」の局員が「午後1時半頃」に配達しているのは間違いない事がわかった。
封筒一面に、手書きのマジックペンで宛名書きがされているのであって、誤配のしようもないのであり、普通郵便ではあるものの、ビデオの為のクッション材でくるまれていて厚みがあり、局員が覚えていたと言う訳である。
そもそも「夜10時」には「配達員は帰宅している」と言うことだった。

「届いたんだけど」と送ってくれた友人に御礼の電話を入れて、こんな事があって不思議なのと言ったら「それは嫌がらせでしょ」と言われて気絶しそうになった。
その後、母が親しくしていた友人に「季節の御挨拶・相談」をしてみたところ、同じ見解だった。
わたし以上に「話」は聴いていたのだった。

「しばらく様子をみてみること」になったが、当日「市役所から保険証」も届いているのであり、担当の局員が「午後1時30頃に配達した」とすると「少なくとも夜10時」までは、ビデオの茶封筒と保険証は「誰か」が抜いたことになる。

騒音元の御主人が「どの程度の騒音なのか」確かめたいので「部屋に入れて欲しい」と言うので、これは「話にならない」とは思ったけれど「留守にしますから敷地には御自由に」と回答しておいた。
誰が好き好んで「近隣トラブル」を起こしますかと言う話である。
何事も無く静かに暮らしたいと思うのが極普通の感覚だろうと思う。

「田舎の感覚」なのかも知れないが「スタイリッシュな建造物には要注意」である。
気障で気取ってその気になっている輩には、言葉も無い。



by venuscat | 2006-08-26 00:00 | 日記  

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