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BALLAD-名もなき恋のうた-1-2


古いお話になりますが『夜のヒットスタジオ』という歌番組あって、その頃、わたくしは「家」を出ていましたが、その時間になると母から電話あって、互いに「実況」しつつ、あーたらこたらで1時間が過ぎるのでした。
母もわたくしも、薬師丸ひろ子さんの真っ直ぐな歌声が好きでした。
『ALWAYZ 三丁目の夕日』を父、母、共に観ることはかないませんでしたが「六ちゃんの東京のお母さん役の薬師丸ひろ子さんとあの時代」は、家族3人で観たかったと今でも思います。
術後の母は、お見舞いの誰かれ構わず、良く「昭和30年代の話」をしました。
「高度経済成長期」と言われる「あの時代」です。
田舎の町にも映画館はいっぱいあって「一般庶民の娯楽の王道」を誇っていたように思います。
今で言う1番館2番館3番館を含めると、辿って10館は数えられます。
わたくしの記憶の「初めての映画」は「フランク永井」か「宮城まり子」かです。
以前、上映年月日を調べてみたことがありましたが、田舎のこと故。
どちらがサキでもどちらがアトでも、家族3人で観た映画です。
一人で映画館に行くようになってからも、お席指定や入れ替えがある筈もない時代で、入り口には「暗幕」あって、人気の映画はその暗幕の外にも溢れる程でした。
「娯楽」ですから鷹揚で、途中から入って、全篇みたところで席を立つ人はそう珍しくもなかったように思います。
当時の友人に「つわもの」がおりました(笑)。
お弁当を2食作ってもらい、朝から最終まで見続けた人(♀)が居ます。
昨日2回目『BALLAD-名のなき恋のうた-』見てまいりました。
「哲三さんの800勝」がかかっておりましたから、封切りの日は「競馬三昧」で、初動は外しておりまして、すみませんコトでした(笑)。
遅れて「初回」はもう「なんだかだ」無くて。
「みさえさん」が「羽鳥さん」に見えて往生しました。
2回目は、時間の都合で珍しく日中の回に入りましたら「家族」がいらっしゃいました。
「子供」には子供の笑いどころあって感心しましたが、お母さんも一緒に笑って。
「あなたを思っています。大切な人です」辺りはシンとなるのも可笑しくて。
もうあの年頃では「近い将来の予習」を感じ、イキを潜めて見つめているに違いないと思いました(笑)。
で、感想ですが、わたくし「アタマ悪ぃ」から。
「ほどよい映画だなあ」と思いました。
加減を知ると言いますか、塩梅にご苦労されたのでは。
映画雑誌と宣伝のテレビ出演とスタッフブログでしか存じあげませんが、「笑みを浮かべて駄目出し」をなさる監督さんのようですが、お優しい人柄のように『BALLAD』からは感じました。
何かで、樋口監督と山崎監督と草なぎさんとで、お食事会か飲み会かあったように読んだように思います。
「穏やかで優しくてアツクルシイ人達」なんだろうなと、妄想しています。
映像については『山のあなた』と絡めて書きたいコトも有るような無いような。
でも、そこじゃないような。
そこじゃないと言ってしまうと、なんぞ?にもなってしまいますね(笑)困りましたね。
悲恋でありながらも、互いに思いを真っ当した清清しさ潔さ温かさが伝わり、後味のいい映画だったと思いました。
廉姫の父、康綱の目尻が下がるトコロなど、見所もございました。
またの機会に見に行きたいと思っています。


by venuscat | 2009-09-24 22:30 | 日記  

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