ねこのくしゃみ

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お門違いのやっかみ


名刺を見ると「営業担当」になっているが、剪定の見積もりをして貰った。
去年一年は手を入れずじまいだったし、雪囲いの手配の前に、雪が降って積もった。
何もかも後手後手になってここまで来た。

運が悪かったと、自分を言い含めて、諦めるしかない。
しかし父と母には、何と詫びたらいいのか。

謹厳実直頑固堅物な父、お嬢様育ちで我儘勝手があったが、可愛らしくて綺麗だった母。
父は勤め人だったが、畑仕事を楽しみにし、母は庭に花を咲かせた。
娘のわたしは、美味しいと綺麗しか言葉を知らなかった。

母が植えた木蓮が先だが、わたしが植えた花水木の方が大きくなってしまった。
以前住んでいた近くに、白色の花を咲かせる花水木のお宅があって、御近所の人達は、毎年楽しみにしていた。老木なのか、花が咲かない年もあった。
「今年は咲きましたね。良かったですね」がちょっとした挨拶になった。
その頃になると、毎年、母に文句を言われるのである。
あなたがあんなところに植えたからと。

もう何十年も前の事だ。
東京郊外の新興住宅地の街路樹に、ようやく花水木が植えられるようになった頃。
この田舎では、庭木の花水木は見たことがなかった。
植木市で苗木を見つけて、白かしら桃色かしらと植えたら、桃色の花を咲かせた。

見積もりに来た営業担当の人は、真っ先に花水木に眼を付けた。
庭木でこれだけの花水木は、そうそうないというのだ。
「花は咲きますか」
「ええ」
「何色ですか」
「白だったら良かったんですけど桃色なんです」
桃色の方が成長が遅く、値が張るのだそうである。
家の庭木に値段が付く等、考えたことがなかった。
びっくりする程の値段だった。
わたしの背丈もない苗木だったのだ。

しかしそこからが地獄だった。
悲しい悔しい情けないの繰り返しである。

シルバー人材センターに「草刈り」を頼んだ。
「剪定」はお断りをされていた。
三メートル以上の庭木があるお宅には入れない決まりがある、と言う理由だった。

「草刈り」の人に、お台所の額紫陽花をバッサリ刈られ、その横の普通の紫陽花は根こそぎ刈られた。
頼んでいない。

元々毎年入ってもらっていた植木屋さんはあったのだが、母のほぼ全てを網羅している電話帳を見ても探せなかった。最後の雪囲いの領収書も出て来なかった。

断られるのを予想して「お知り合いに植木屋さんありませんか」と聴いてみた。
後日居直られるのだが「是が日でも」等とは言ってはいない。むしろ、お顔が広いでしょうからの「お愛想半分」である。
あっという間に「剪定班の仲間」を連れて来た。

悪質だった。
「三メートル以上には手を付けない剪定」の伝票を上げるカラクリだった。

届かないと言って、途中までしか整えられなかった庭木もある。
玄関の松には散々ケチを付けられ「こんな松切ってしまえ」と何度も言われた。
わたしは見立てが分からないので「まあそんなに格好がわるいんですか」程度に相手をしていると、繰り返し繰り返し言うので、「切るんでしたら御仏壇にお線香をあげて、お墓参りして、それからにしてください」と切り返した。

「来年お花が咲かないのは困ります」ともお願いした。
しかし草刈班二名と剪定班一名で、三箇所である。わたし一人が全てに付きっ切りと言う訳にはいかなかった。
素人のわたしが見ても「見るも無残」になった庭木もあった。
躑躅の花色が白か黄色かで言い合っていて、結局「もらっていく」だった。

他にも文章にはしたくない違反行為が何点かあった。
伝票操作以上の悪質さである。

電動草刈り機で刈られた荒涼とした畑と、無残に刈り込まれた庭木が残った。
陽が暮れると余計悲しみが増した。

結局親戚の伝手を紹介してもらった。
古い家で、立派な構えと庭がある。
家には、とてもとてもと思っていた。
事情と経過の話をして「三メートル以上」の手付かずだった植木の剪定の見積もりと、シルバー人材センターの仕事振りを見てもらうことにした。

「気の毒ですが」
「追い打ちをかけるようですが」
「これ以上言いにくいですが」ばかりだった。
「どうしてこういうことをしたのか聴いてみたい」とも言っていた。

乱暴な切り口で「どんな道具でしたか」と聴かれても「道具自慢」をされたのは憶えてはいるが「刈り込み鋏」や「鋸」だったような気がする。
剪定鋏で直せる切り口は直してくれたのだが、季節もあって、これ以上は手を入れられないとも言われた。
仕立てをする程の庭木ではないが、それでも格好が付くまでには何年もかかるそうである。
根元の刈り込みが乱暴で、根腐れも覚悟してくださいと言われた庭木もあった。

松と木蓮と花水木の剪定の見積もりを取ってもらい、溜息が出たが、お願いするしかなかった。
帰りに花水木の写真を撮っていった。
わたしはまだ一枚の写真も撮ったことがなかった。

庭の様子を知っている母の友人に泣き言を言ったら
「地植えの植木は生命力が強いから」
「元気だして」
「しっかりして」
「世の中には理解出来ない事をする人がいますから」
慰めて励ましていただいたが、気持ちは晴れない。

「居直り」の中に
「来年咲かなかったら咲いた花を持っていく」
「値段は普通にあげますからね」
「おまけしてあげます」と言わんばかりだった。

来年からも「草刈り」は頼まなくてはならないし、穏便に済ませたかったが、草刈りの代金は支払うにしても、剪定の代金等、支払いたくない。
最後に怒りが込み上げてきて、納まらなかった。

シルバー人材センターには、契約違反行為と仕事振りを報告し苦情を言った。
今回「剪定の請求」はないそうである。
後日、お庭拝見とお詫びにいらっしゃるとのこと。
元には戻らないのだけど。
庭木を失うことは、ペットを失うのと同じである。
何十年もかけて育ったのだから。

庭木と畑と草花を育てる知識が、全くないことには気が付いていた。
今回は「女の無知と貧乏の悲劇」であった。

種を蒔いてみた。苗を植えてみた。
芽が出た。花が咲いた。
失敗した。
そんな話を、ここには書いてみたいと思っていた。

取り敢えず「障子紙」を注文した。
無いことも無く、刷毛も糊もあるのだが、母はシルバー人材センターに、障子の張替えを頼んでいた。
今度は、自分でやってみようと思ったのである。

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# by venuscat | 2006-09-27 00:00 | 日記

旗日


音はしなくなった。
夕方、駆け回る犬の鳴き声が時折聴こえる程度である。
生活音で、気にはならない。
しかし一週間程は、いつまた聴こえてくるのかと、緊張が解けなかった。
ようやくこの日頃、自然の音が自然に聴こえるようになった。
体調回復まで、あと少しの感じがする。

日曜日、二ヶ月に一度の町内会費の集金があった。
昔からの方だから、大抵の事は御存知だし、何かあれば耳に入っているだろうし、話にされる筈である。
お孫さんを連れてみえられたから、土曜日曜と息子さん御夫婦が帰ってきていたのだろう。世間話を少しして、何事もなかった。

最初の騒音の時、お隣の奥様とは、町内会を通すか通さないかの確認の話になった。
まずは、当事者だけの内輪でと落ち着いた。おお事にはしたくない。
今回これで済めば、また静かな生活に戻る。
若い世代が住む、元気のいい住宅地では無いから、何事もなければ、ひっそりと静まりかえっている方だと思う。

しかし悩みは尽きない。
先に「人も羨むような住環境」と書いたが、一方で「誰も羨まない住環境」でもある。
手のかかる小畑と小庭である。
洋芝を敷き詰めて、ガーデニング。
知識人文化人の庭。
およそはるかに遠い。

母は普段は人を頼み、何とか維持していたのだが、結局、家の中に入り込まれた。気を付けてとは言っていたのだったが。
「食事時に来るから、食事も出さなければいけなくて」
「お昼と夕方と」
悪い人ではなかったが上手だった。
数年間来てくれていた人ではあったが、結局、母は切った。

わたしもしばらくは人を入れたくない。
去年の夏は、草刈鎌で刈ってみたり。
今年の夏は、電動草刈機を買って、振り回してみたり。
しかしとても追い付かない。
夏の雑草は、ちょっとした怪物でホラーである。
音もなく前進し、侵入しようとしてくる。

お向かいの果樹園は、手入れが行き届いていて、普段は、おばあちゃんが手入れをしている。見ていると慣れたものである。
下草は、息子さんが、本式の草刈機で刈ったり、四輪の草刈り機で、およそ見事に綺麗に刈り取っていく。
わたしは、それを指を銜えて「いいなあ…」と見ているわけである。

月が替わって九月にもなり、朝晩は羽織る物がいるようになった。
日中の暑さも夏の盛りの勢いはない。
シルバー人材センターに、母が頼んでいた記録が残っていたので、今年は来てもらうようにお願いした。
除草になるか草刈になるかというお話だった。
こんなになるまで放っておいてと、呆れられることだろう。
植木はまた別。
次々に懸案を片付けていかないと、あっと言う間に冬が来てしまう。

何処に居ても、毎年「秋競馬が始まる頃には焦る」には代わりがないようだ。

昨日、秋篠宮紀子さまが、親王を出産した。
新しい命の誕生には、女性として華やぐ心がある。
玄関に、日章旗を立てる金具があるのだが。
昔は、祝日を旗日とも言った。
日捲りカレンダーの祝日は朱色で、日の丸の旗が交差していた。
父は旗日には、意気揚々と、二分の一サイズの日の丸の旗を揚げるのだが、母の「この辺で日の丸揚げるのはうちだけ」「右翼思想の家と間違われる」で、辞めになった。
棒の先端に金色の丸い玉が付いていた。
あの日の丸の旗は、何処にしまい込まれているのだろう。



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# by venuscat | 2006-09-07 00:00 | 日記

スタイリッシュとは


普段細々と更新しているサイトの整理が、ようやく付いた。
抜けている分が8日もあって、週1で1回分を埋めていくとしても、8週先になる。面白いと思ってやり始めた事で、今でも面白いと思っているので、きちんと埋めていきたいとは思っている。

では何故8回分も溜めてしまったのか、であるが。
7月から「近隣騒音」に悩まされていた。
ここは田舎の、のどかな住宅地である。
街中に住んでいる人から言わせれば羨むような住環境になる。
川の流れの音。蝉の鳴き声。虫のすだく音。
区画の外れなので、果樹園の借景までついている。
昔住んでいた実家に帰ってきただけの事なのだが、転居して1年、この環境の良さは、心身共に効用し、ようやく人生晩年の生活が、ゆっくり始まろうとしていたところだった。

「近隣騒音」とは「仕事の金属音」である。
とても我慢出来る音ではなかった。
事前に御挨拶があったが、機械搬入一日の騒音と受け取っていた。
毎日毎日の金属音の話では無かった。
耳は音を拾うようになってしまって、始終緊張状態で、身体が日に日に固くなっていくのが分かった。
「揉め事」は回避したい。
すぐお隣の奥様は「音はしない」とおっしゃったけれど、他にお願いしたいこともあるから、お話してみますと言ってくださった。
しかし変わらず。
とうとう耐え切れずに、苦情とお願いに行った。
すると、お隣の奥様側には、既に「防音工事」が施してあった事がわかった。
事前に騒音の予測が認識出来ていた事の証明になる、と後に言われたことであった。
我家は道路一本挟んでのお隣だった。
それから一週間程で「防音工事」が始まったが、わたしは既に寝たり起きたりの生活になってしまっていた。
「金属音」はしなくなったが。
しばらくしてまた御挨拶にみえられて、今は普通のお付き合いである。

ところが今度は、そのお隣。道路一本隔てているのは同じ。
耳が敏感になってしまっているせいかとも思った。
また我慢。
去年はどうだったろうかと思い出そうとしても「無かった」としか思い出せない。去年の秋は、冬は。
音が漏れるドアを閉めていただけませんかとお願いに行った。

問題はここからであった。
その日ドアは閉められたが、翌日からは閉められることはなかった。
心底力が抜けた。
困ったことになったとは思ったが、もう身体が利かなくなっていた。

わたしが実家を離れていた時に建ったお宅で、この区画では最後。最初から自宅件仕事場の設計。
この田舎では、目を引くような「スタイリッシュ」な3階建。
ここがわたしの「ひっかかり」なのである。

そのお宅には番犬がいる。
母「吠えられた?」
私「はい」
母「まだお客様ね」
私「もう吠えられなくなったみたい」
母「そう」

そちらの奥様は「性格が荒いから扱い難くて」とおっしゃるけれど「犬の臭い」がする。室内犬が2頭いて、こちらはぴかぴか。
我家は門扉が無いので、敷地に入ろうと思えば簡単に入れる。
夕方、解き放たれた室内犬は、駆け回ることになる。
まあいい。
去年の冬。玄関までの雪掻きはしなければならない。
体調が思わしくない時は、結構な負担になる。
そんな時、真っ白な雪に犬の糞。脱力する。
始末くらいしてくださいと思っていた。

奥様からは「猫飼いませんか」と2回薦められていた。
我家は、猫が似合いそうな家なんだそうである。
以前に飼っていたことがあるので、猫は飼いたい。
けれどあれやこれや考えたら、飼えない。
どう考えても飼えない。
友人からは「お姑」をつくるようなもの、飼いたかったら「動物病院」からと言われたいた。
「ペットを飼っていないなんて」とおっしゃるが。
余計なお世話。

御主人の御趣味の「音楽」も結構な御趣味だと思います。
これみよがしの「高級外車」も結構な御趣味だと思います。
であるならば「仕事場の空調・防音」くらいしていただきたいと言う事です。
書きたくはないけれど「お里が知れますよ」と言うことだ。

最初に「猫」を見に連れられて行ったお宅には「大型の室内犬」がいた。こんなに狭いところにと驚いた。
類は類を呼ぶと言うことか。
犬猫に振り回される「いつか来る未来」が分かっていない。
父母は猫も犬も飼っていた。
だから私が「捨てられた猫」を飼いたい飼ってあげてと言っても聴かなかった。
結局飼うことになったのだがわたしは「あの悲しみ」を乗り越えることが出来ない。
友人の中には「代々の猫」「代々の犬」がいる。
気持ちの整理が着けられるからだろうから、理解は出来る。
それはそれでいいと思う。
が、わたしの残された人生はそう長いとも思われない。
簡単に猫を飼うことを薦める奥様には、想像力が少し不足しているのだろうと思うしかない。

「金属音の騒音」に我慢に我慢を重ねていたある日。とんでもない「金属音」が響いてきた。
堪忍袋の緒が切れて「代理人を立てます」と言いに行った。
「5分で終わりますから」で夕方御主人が御挨拶にみえた。
案の定だった。
わたしの母は「遠慮のない人」「正論を言う勇ましい人」だった。
「そのようなお話は聴いておりませんでした」ととぼけたが、トラブルの逐一は聴いていた。
多分「感覚」なんだろうと思う。
母はスタイリッシュな建物も、そこに住む住人も理解出来なかったのだろうと思う。

友人にビデオ撮りを頼んでいた。
こちらでは放送がなかった。
当日仕事だけれど「OK。遠慮しないでよ」と言ってくれて、翌日には「送ったから」のメールが来ていた。
多分届くであろうその日、わたしの帰宅は「10時頃」だった。
「猫の似合う家」らしく、玄関は「引き戸」である。
郵便物は、門扉はないから玄関の引き戸に差し込まれる。
届いていなかった。
「12時頃」戸締りに下に降りたら「茶封筒」が差し込まれていた。
ざわっとした。

翌日念の為に「本局」に問い合わせてみた。
最初は「誤配」の可能性ありだったが「担当局」の局員が「午後1時半頃」に配達しているのは間違いない事がわかった。
封筒一面に、手書きのマジックペンで宛名書きがされているのであって、誤配のしようもないのであり、普通郵便ではあるものの、ビデオの為のクッション材でくるまれていて厚みがあり、局員が覚えていたと言う訳である。
そもそも「夜10時」には「配達員は帰宅している」と言うことだった。

「届いたんだけど」と送ってくれた友人に御礼の電話を入れて、こんな事があって不思議なのと言ったら「それは嫌がらせでしょ」と言われて気絶しそうになった。
その後、母が親しくしていた友人に「季節の御挨拶・相談」をしてみたところ、同じ見解だった。
わたし以上に「話」は聴いていたのだった。

「しばらく様子をみてみること」になったが、当日「市役所から保険証」も届いているのであり、担当の局員が「午後1時30頃に配達した」とすると「少なくとも夜10時」までは、ビデオの茶封筒と保険証は「誰か」が抜いたことになる。

騒音元の御主人が「どの程度の騒音なのか」確かめたいので「部屋に入れて欲しい」と言うので、これは「話にならない」とは思ったけれど「留守にしますから敷地には御自由に」と回答しておいた。
誰が好き好んで「近隣トラブル」を起こしますかと言う話である。
何事も無く静かに暮らしたいと思うのが極普通の感覚だろうと思う。

「田舎の感覚」なのかも知れないが「スタイリッシュな建造物には要注意」である。
気障で気取ってその気になっている輩には、言葉も無い。



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# by venuscat | 2006-08-26 00:00 | 日記

辛いなあと思うこと


2006年4月12日の大井競馬場の外れ馬券を持っている。
第12回マイルグランプリがあった開催だった。
阪神競馬場の桜花賞の帰りに寄るのを楽しみにしていた。

当日は、L-WINGの4Fスカイシートを取った。@3500
地方競馬は、指定席を取らなくても、1F2Fの自由席で十分で、むしろその方が好きなのだが、阪神競馬場では土曜日は指定は取れたが、桜花賞当日はゴール板寄りの一般席に席を確保するのが精一杯だった。
どういう加減なのか、お席にテーブルが無いと、馬券がグダグダになってしまって当たらないのである。
テーブル席だった土曜日は当たり馬券のコピーを10枚以上してもらって、少しだけ勝ったが、テーブルのない桜花賞当日は、散々の結果に終わった。
いいお天気だったが、午前中は風が強くて冷たくて、春先の軽装では凍える寒さだった。温まりたくて日本酒のカップ酒を都合3杯呑んだが、とても追いつかなかった。

そんなこともあって、大井では指定席を取った。凍えたくなかったし、馬券も取りたかった。
窓口の女性の係員は、いいお席を取ってくれたが、座ってみると、見晴らしはいいし、設備も綺麗で快適だったが、わたしには場違いのような感じがしないでもなかった。
モニターがお席に1台付いているが、枠連枠単のオッズしか表示されなくてあまり役に立たなかった。

土日の中央競馬の収支はマメに付けてはいるが、旅先になる中央競馬、地方競馬の収支は、帰宅すると疲労困憊で、記録が延び延びになって、その内、正確な収支が分からなくなってしまう。
当たり馬券のコピーをする時間もないし、当日使った競馬新聞は、まだ何処かに重ねたままになっている筈である。

開門を待っての入場で1Rからやったが、馬券はおもわしくなかった。パドックで馬も見たいし、美味しい物も食べたいしで、お席を外して、1Fにいることの方が多かった。陽気もそんなに悪くはなかったし、何より目の前で競馬が見たい。

入場の際に渡されたスクラッチが当たって、大井のキャップ帽が当たった。5人に1人は当たる勘定だったが、わたしはキャップ帽は持っていなかったし、大井のピンバッジが付いていたり、デザインも良くて黒色だったし、普段でも使えそうで、とても嬉しかった。そしてその時点で馬券はどうでもよくなった。1Fの旧式の機械でトラサンノユメやレンジデチンの単勝を勝って、柵にくっつくようにして応援した。

馬複の流しと枠連の馬券には、騎手の名前が印字されていないので、その日の成績表で照らし合わせてみたが「佐藤隆騎手」の名前は無かった。
12回マイルグランプリは、4番ナイキアディライトの単勝しか買っていないと思い込んでいたが、軸2頭の3複流しを買っていて、その日、13番人気で2着した「コアレスタイム佐藤隆」は買っておらず、紐抜け外れ馬券になって今手元にあるというわけである。

マイルグランプリは席に戻って観戦したが、この頃になると、さすがにこのままでは帰れないと思うようになり、内田博幸騎手の表彰式を見ながら最終レースは頑張って、スカイシート代金分はお返ししていただいた。

5月1日(月)には「船橋競馬場」に居た。
前日の東京競馬場の当たり馬券を、WINZで換金してからだったので、着いたのはお昼も過ぎてしまっていた。
4月25日(火)に佐藤隆騎手が落馬負傷したのは知らないでいた。

陽気のいい晴れた日だった。
船橋も初めてで、わたしは一般席に座って割合のんびりレースを見ていた。直線からゴール板目指して馬群が通過していく時、近くのおじさんが「来ちゃったよ来ちゃったよ。つまんないんだよなあ」と言った。何が不満なのかと思ったら、固く決まったレースだった。その後のレースで人気薄の外枠が来て、おじさんは的中したようで、嬉しそうだった。
馬券を買ってゴール板前近くで待っている時、手前のおじさんの新聞に馬連 の買い目2点が見えた。来たら大穴である。どう考えるとその買い目になるんだろうと思ったが、心意気のようなものを感じもして、恐れ入りましたといった態になった。

船橋のあの時のおじさん達は、佐藤隆騎手が居なくなってしまったたことが、その日も昨日も今日も、とても悲しいに違いないと思う。

謹んでご冥福をお祈り致します。

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# by venuscat | 2006-08-11 00:00 | 日記

落ち着き先


もうひと頑張り。
流行の無料ブログは、実際に使ってみないと分からない使い勝手がある。
気ままに書けるスペースが欲しくなった。
開いてみたところは、画像置き場が第一の魅力だったのだが。
予想以上に周辺の環境が様変わりしていた。
更新すると、息もせぬ間にアクセスがあるが、折り返し行ってみると商品の宣伝が多い。
賑やかで活気があるとも取れるが、奇妙にざわついた環境を感じてしまう。
わたしは落ち着かない。
ほぼ半日をかけて仕様を変更し、やっと書ける状態まで漕ぎ着けたのだったが。勿体ないとは思うけれど、引き払おうと思う。
以前からのお知り合い先に御挨拶をしてしまったから、詫びを入れなければならない。
粗忽は直らない。
こなさなければならない件が溜まっている。
もう区切りを付けないと。
8月8日と9日は転載になる。

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# by venuscat | 2006-08-10 00:00 | 日記